神戸市・三田市周辺の車のキズ・ヘコミ修理 創業40年を迎えて
『池鍋塗装』は、先代の父が独立し、神戸市北区大沢町にて、自動車板金塗装業として開業し、今年で40年を迎えました。
これまでにたくさんのお客様にご利用いただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
開業当時、中学2年だった私の夢は、青年海外協力隊として、海外で活動することでしたが、
その後の家庭の事情もあり、父の背中を追って板金塗装の道に進むと決めたのは、高校卒業して間もなくのことでした。
元々、模型を作ったり、車を触ったりするのが好きな私でしたので、自動車の板金塗装は、実物大模型を作るようで楽しい仕事でした。
ですが、始めて8年、鈑金や塗装は一切させてもらえず、仕事は父の助手的なことばかり。
職人気質の父は仕事中は無口で厳しく,
「技術は教えてもらうものではなく、見て真似て自分で覚えていくものだ」という師匠でした。
そんな父が1995年1月、阪神淡路大震災の直後、胃潰瘍で入院することになり、私は、突然一人で仕事をすることになってしまいました。
父いわく、「お前はもう一人でできるやろ」と。
その言葉に、え?と思いましたが、実際やってみると案外出来るもので、今思えばひどい仕事でしたが、8年間の丁稚修業、
少しずつ身についてきていたのでしょうか??
晴れて退院後、父は板金担当、私が塗装担当として二人三脚で仕事再開。
当時は下請け中心の入庫でしたが、仕事は順調で、二人で何とかやってこれていましたが、2007年2月、父が亡くなりました。
胃潰瘍の後、今度は大腸がんが見つかり入院、退院し回復していたと思ったのもつかの間、60歳の還暦を迎えた5日後のことでした。
師匠の突然の死に、これからどうすれば?・・との不安の中、「お前はもう一人でできるやろ」の言葉を思い出し、ただ前に進むべく、
慣れない鈑金を始めることに。ちょうど自動車も変わり始めたころで、外板パネルの素材が高張力鋼板に代わっていくさなか、本当に苦労しました。
当時、この仕事を始めて20年経った頃でしたが、仕事を訓えてくれる師匠や仲間もおらず、日々失敗の繰り返しで、
技術を身に着けようと、必死に一人もがいていました。
そんな中、インターネットで「ならし鈑金」に出会うことに。
2015年1月、東京羽田の武田自動車さんで、講習を受けさせていただけることになりました。1日だけの講習でしたが、
その後の私の技術は激変しました。これまで出来なかった板金や、交換していたものも、板金修理できるようになっていったのです。
私にとっての人生2人目の師匠のおかげで、今では他店で交換と言われた鈑金の修理が出来るほどになりました。
技術の向上とうらはらに、今度は取引先からの入庫が減り始めました。また次の試練です。
当時はまだ、ほぼ下請け中心の仕事で、原因は、取引先のお客様の減少でした。取引先の車検入庫が減ると、当然鈑金の依頼も減ります。
これには大きく影響を受けました。
このままではせっかく父が立ち上げた会社が無くなってしまう。
藁にもすがる思いの中、運命の出会いがありました。
その方は関東地方で板金塗装をされている方で、私と同じように元受けからの仕事が減り、一般集客を成功させた方でした。
その方のお世話になることで、7年経った今では多くの方から仕事を依頼していただけるようになりました。
直接お客様にご来店いただくことで、お客様の要望を聞いたり、修理方法のご提案ができることで、お客様には大変喜んでいただけるようになりました。
お客様の笑顔を見れることで、仕事のやりがいも今まで以上に感じることが出来ました。
また、これまで仲間のいない環境だったのが、2018年、自動車車体整備協同組合に加盟させていただき、たくさんの同業者と知り合うことが出来
ました。組合の主催する技術講習や研修を受け、2019年、兵庫県塗装技能グランプリで3位入賞も出来ました。
普段の仕事を競う大会にエントリーし、同業種の凄腕が集まる中で入賞できたことは、大きな自信になりました。
2020年には、念願の板金塗装業の国家資格である、車体整備士の資格も取得できました。
この年の12月には、自動車塗装工として、神戸市長表彰を受賞しました。
翌、2021年には3級整備士、そして、2022年、国家資格である1級金属塗装技能士の資格も取得できました。
50歳を過ぎて、3つの国家資格を取得できたのは、兵庫県車体整備協同組合のおかげです。
今は、おかげ様で多くの仲間が出来、新しい技術、知識、道具の情報を共有し、更に凄腕の仲間から、日々技術を盗んでいます。(笑)
この仕事に終わりはありません。仕事を続けている限りが修行です。
もっとうまくなりたい。
神と言われた人々に近づきたいという思いと、お客様を「職人の技術で笑顔にしたい」の思いで、今後とも精進してまいります。